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kenro_izu
  "Eternal Light” EL 23#12 2013 Gelatin Silver Print ©Kenro Izu


井津建郎 写真展 「 Eternal Light - 永遠の光 」


2015年11月18日 (水) - 12月19日(土)
開廊時間:10:30 - 18:30(土 - 17:30) 日・月・祝日休廊

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<関連イベント>

井津建郎 × 石原悦郎 トークイベント

2015年11月21日 (土)  14:30 〜 15:30 (先着30名・予約不要・立ち見席有)
会場:ツァイト・フォト・サロン (東京都中央区京橋3-5-3 京栄ビル1F)

詳細はこちら

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プラチナプリントの美しさに定評のある井津建郎ですが、2年以上の歳月をかけてインドで撮影を行った本作は銀塩写真で制作されました。プラチナプリントとはまたちがったモノクロームの味わいのある深みと、井津ならではの雄弁な表現力は観る者を圧倒します。是非ご高覧ください。


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永遠の光

人々が古代から綿々と続けてきた祈りをテーマとして、世界の『聖地』を訪ねて撮影を数十年続けてきた。 その『聖地』を締めくくるために2013年にたまたま12年に1度行なわれる祭典クンブ・メラを取材したくインド最後の撮影に向かった。しかし奇しくもそこから展開することになった『永遠の光』は“人間はどこへ向かって行くのか”という命題を私に考え続けるようにヒンドゥの神々が啓示したようだ。

『生』の無常を初めて感じたのは、物心ついた頃、映画の中で野生動物の群れがある時一斉にある場所を目指して旅立ち、そこで静かに死んで行くのを見た時かもしれない。 そして成長してから見たドキュメンタリー・フィルムでは、鮭が川で孵化して稚魚となり、やがて海を目指して長い旅に出る。海で大きく成長した鮭が漁師の網や、大型魚の攻撃をかいくぐり、河口では釣り人の針を避けて生まれ故郷の川へ瀕死の力を振り絞って遡上し産卵、半ば腐乱した身体を川辺に投げ出して野生動物の餌として提供しその生命の円を閉じる。 野生の本能が鮭を死へ向かう長い旅に送り出すのなら、何が人間を旅に駆り立て何処へ向かうのだろうか。

最初のインドへの旅はベナレスのガンジス河畔火葬場での経験だった。家族が集まって、身内の旅立った人が炎に包まれているその際でおしゃべりしながら、時には冗談を飛ばし合い微笑みさえうかべていた光景が眼に焼き付いている。 あるいは故人の噂話をしながら遺体を竿で突いたり、位置を変えたりしていた。約3時間半後、遺体は一塊の腰骨の燃え残り以外、白い灰となってガンジス河に掃かれ流された。燃え残った塊は喪主によって河に投げ入れられ、家族と親族の人々は立ち去った。後には何も残っていなかった。 ガンジス河はいつものように濁水が人々の願いと共にゆったりと流れ続けていた。

ガンジス河畔の聖地ベナレスはヒンドゥ教徒が現在の生から旅立ち、火葬の灰をガンジス河に流されることを切望しインド全土から年老いた人、末期病の人々が訪れその時が来るのを待つ地である。 その街ベナレスで60年間、旅立つ人々と家族に無料で部屋を提供する家、モクティ・バワン(解脱の家)はベナレスで家族が旅立つ人と最後の数日を共有する家である。 『解脱の家』では簡素な部屋に作り付けのセメントベッド或いは木製のベッド、共同洗い場とトイレが提供される。家族は寝具、調理器具と食料、食器の全てを携えてここに来る。 これまでの概念から通称呼ばれる『死を待つ家』と解釈していたが、数年間通ううちに、それは家族とともに最後を生きる家であり、それは死を待つというよりも、そのヒンディ語の直訳通り、限りない輪廻のサイクルから『解脱するための出発の家』であることが感じられたのだった。 家族に撮影の許可を願うと、例外無く快く受け入れてくれ、それら家族の中には旅立つ人を囲んで記念撮影をして欲しいという要求さえあった。 彼らは大切な家族が旅立つ寂しさを感じながらも、それは私が想像していたほど暗いものでは無かった。

100歳だという老人の旅立ちが近いと察した家族が、老人を自宅からベナレスへ車に乗せて連れて行こうと促したが、彼は嫌がっていた。しかし車に乗せて旅を続けるうちに自分の運命を悟ったのか素直に従いベナレスへ着いたと言う。 『解脱の家』に入居2日目、意識の無いままベッドの中でむずかる老人。結婚して70年になるという老婦人がベッドに寄り添って語りかけると老人は次第におとなしくなり、その顔が平安になった。 意識が無くとも、長年連れ添った妻の声が老人を安らかな境地へ誘ったのだろうか、その光景はカメラを構える私の胸を熱くした。

翌早朝、老人は旅立った。 老人が旅立った数時間後には、いつものように部屋は水できれいに清められていた。床やベッドの上に残る小さな水溜りが窓から差し込む冬の光を映していた。 『解脱の家』二階に続く階段には窓から光が降り注いでいた。 かつては2階の部屋も全て塞がっていたと聞くが、今は畳まれた木製のベッドが廊下の壁際で埃をかぶっていた。 人々の生活がいくらか豊かになった今日、余裕のある家族は旅立ち前の数日をホテルで過ごすようになったと管理人は語った。 そして過去には貧しいがベナレスで旅立ちを迎えたいという家族のために提供されていたこの家も、今では全部で20室あるというこの家の階下の数部屋しか利用されていない、と語る管理人の表情に無気力さが漂っていた。 開所当時からの入居者名簿は分厚く束ねられた冊子5冊にも及び、多くの貧しい人々への奉仕を物語っていた。その古い冊子には1953年入居という数字も見え、数千人にわたる入居者名簿にこの家の歴史を垣間みた。 入居者の滞在期間は平均3日間だといい、それ以上の滞在は稀だという。生命の終焉を悟った動物は本能的に墓場に赴くというが、人間も同様の本能を持つのかもしれない。 インドとはいえ、北部ベナレス1月の朝夕は肌寒く、人々は毛糸のセーター或いは上着を着ている。 『解脱の家』の管理人はヒンドゥ司祭でもあり、日に2回祭祀をクリシュナ神を祀る祭壇の前で行い、その後入居者の部屋を廻って神の祝福を与える。長年多くの旅立つ人々を見送り、最後の祝福を与え続けた司祭の眼はうっすらと膜がかかったかのようで、他所ものである私への親切な態度とは別に、立ち入ることを拒んでいるかのようだった。 入居者のための水場を備えた中庭で彼の肖像を撮った。 上を見ると四角く建物に切り取られた空には金網が張られていた。それは猿や鳩の侵入を防ぐためだと言う。金網の上にはおちてきた凧の残骸や、風に吹かれて飛んで来た塵がひっかかっていた。真上から降って来る柔らかな光が司祭を包む。

12年に1度催されるヒンドゥの祭典、クンブ・メラはアラハバッドの広大な河川敷に臨時造成されるテント村で2013年1月には延べ6千万人を集めて行なわれた。 その5年前に訪れた時には、ただ広い砂浜だった河川敷に無数のテントが整然と設営され、ガンジスとヤムナ2つの聖なる河には浮き橋が数えきれず架けられていた。 聞くと数ヶ月前から軍隊と重機が出動して12年間ごとに催される1ヶ月間だけの祭典のために俄大都市を築いたという。 ガンジス河とヤムナ河の合流地点が至高の聖地『サンガム』とされ、祭典期間中に数回ある吉日早朝、ご来光に包まれて沐浴することがヒンドゥ教徒には至高の祈りであるという。 夜明け前の暗闇に、沐浴後の着替えとお供えを持ってサンガムに向かう人々が次々と浮かび上がる。地方から巡礼に来た団体が河の近くでその時を待つ。朝日が昇りきって人が少なくなった頃、サンガムから離れた静かな川岸でゆっくりと沐浴と礼拝をする人々もいた。鈍い朝日を受けてとろりとしたガンジスの水、流された供物が川辺を漂っていた。 クンブ・メラ以外にも小規模だが毎年催されるマーグ・メラ。 アラハバッドは1月から2月にかけて巡礼の人々と遊行僧など貧富・階級を超えた人々の祈りの場となる。

ヴリンダヴァンはヤムナ河沿い、ヒンドゥ神の1人クリシュナが幼少時代を過ごした地として知られ、その小さな街に2000あるという寺院全てがクリシュナ神を祀っている。 この街には数多くの細い路地が交差し、曲線の、あるいは“く”の字路地を曲がる度に目の前には異なった風景が現れる。寺院かと見まがう立派な門を一歩入ると廃墟のように、今にも崩れ落ちそうな建物に住む家族がいたり、逆に質素な潜り戸を身を屈めて入ると、立派な寺院を備えた個人宅であったりと何度訪れても新しい発見のある街である。

また寡婦が余生をおくるために世俗生活を捨てて集まって来る街としても知られている。夫を亡くした寡婦は色の付いた衣装、装飾品の着用や娯楽に興じる事を禁じられているといい、祈りと禁欲生活を寡婦同士が共有し日々を過ごしている。それら寡婦に無料で住居を、あるいは個々に暮らしを営む寡婦達のために祈りの場所を提供する施設がヴリンダヴァンには多くある。

寡婦を社会から疎外するこのヒンドゥのしきたりに対して、最初はいくらかの非難と寡婦達への憐憫をもって撮影にあたったのだが、出会った寡婦達の中には、家族に引き留められながらも自発的に寡婦の家に来た者も少数ではあるがおり、寡婦達の中には社会と家族のしがらみから解き放され、信じる神と共に生きながらの解脱生活を送っている人達もいることを発見した。 しかしある寡婦は貯めていたお金で孫に玩具を買って実家を訪れたところ、家族に不運をもたらす、と忌み嫌われ玩具とともに追い出されたという悲しい話も聴いた。

施設内の合部屋、寡婦それぞれの小さな占有空間には、全てにクリシュナ神を祀る素朴な祭壇がしつらえてあった。あたかもそれが寡婦達の生の道標となる唯一の灯火であるかのように。

ある寡婦は10歳の時、天啓にうたれクリシュナ神に自らを捧げることを誓い、生まれた土地、西ベンガル州からここヴリンダヴァンに旅して以後50年間この家の住人として暮らしてきたという。訪れたその日もクリシュナ神と自分のための食事を作り、神の椅子の前にカレーと飯が自分と同じ金属の皿と碗に盛られ、供えられていた。 質素だが整った空間、雑然とした空間、どれもが死への予兆を湛えていた。そこに住まう寡婦達の表情には無常の生への諦観、そして死が訪れる(クリシュナ神が招く)まで信心とともに生きぬく覚悟が見られた。それは人間の尊厳という言葉を思い出させた。

小学校に隣接する私設孤児院には男の子1人を含めた13人の孤児が集団生活をしていた。男の子は8歳になると男子専用の施設に移動されるとのことである。 一人一人の肖像を撮影する許可をとって、施設の一角で撮影を始めた。子供達は中庭に集まって自分の順番を待つ間もふざけ合ったり、カメラの前に立つ子供をからかったりと世間の子供達と変わりなく屈託なかった。 それぞれの子達に将来の夢を聞いたら、教師,警官、歌手、飛行機パイロット等になりたいと言う。それは子供達の生い立ちや現在の境遇を超えた生への逞しさを感じさせた。

撮影後に保母さんから子供達の入居事情を聞いた。 女子の孤児が圧倒的に多いのは、やはりインドにおける男子優先相続の事情 からだろうか。しかし、子供達各々の施設に収容された状況を書き留めたインタビュー用紙を宿で読み返してみて、数時間前にカメラの前にいた無邪気な子供達の悲惨な生い立ちに悲しみや憤りを超えた感情がわき上がってきた。 親を知らず,或いは捨てられて施設で共同生活を営む子供達なのにその瞳の輝きがインドを遠く離れた今でも私の心を捉えて離さないのは彼等にも等しく投影されている永遠の光のせいだろうか。

知り合いの産婦人科医に紹介されたベナレス郊外の村で新生児の撮影をした。その村は住民皆貧しく、村の一部はカースト制度の外に生きる人達の区域だった。その村でも子供達がたくさん集まって遊んでいた。貧しい村ほど子供達が多いのはアジア圏に特に多い現象のようで、その代償はその子供達自身が将来担う結果になることが想像できた。

生まれて7日目だという男の子は土で固められた家の中のベッドで眠っていたが、母親に頼んだらそのベッドを明るい入り口近くへずらして撮影し易いように計らってくれた。いきなり光の中へ連れてこられた男の子はうっすらと眼を開けた。眼の周りにはインドの習慣の黒い隈取りがされている。医師は衛生上の理由で隈取りをしないように親達に指示しているというが、例外無くどの幼児も眼の周りに隈取りしてある。これは悪霊を近ずけないように、というおまじないだそうである。

8月のインドは雨期の盛りで、ガンジスの水位は乾期から7〜8メートルは上がっていた。ベナレス河畔、火葬場横に傾いた小さなヒンドゥ寺院の廃墟があり、乾期に土台が見えていたのが今では尖塔上部数メートルが水面から見えるだけであやうく見過ごしそうになった。 尖塔に繋がれたボートが増水で早くなった水流の中を揺れ動いていた。 以前ガート伝いにガンジス河を見ながら歩いて行けたのが殆どのガートは今は水の中だった。 乾期にはあるガートにそびえ立っていたシバ神のシンボルとその三叉槍がかろうじて水面上に出ていた。 ガート沿いにある火葬場は乾期にはガートの下、川辺でも火葬が行なわれていたが今はガート上部の道端とガンジスを見下ろす建物の屋根の上で火葬が行なわれていた。 距離を置いて撮影をしていたのだが強風が火葬場を襲い、空一面に白い灰が舞い私の上にも雪のように降り注いだ。 その間にも火葬前の儀式が道端に置かれた台の上に座るブラーマン(ヒンドゥ祭祀)と家族の長とによってとり行なわれている。旅立った人は華やかな布に包まれ、路傍の竹を組んだ担架の上で、ガンジスの水で清められるのを待っていた。

ナランプール火葬場はベナレス市街からガンジス河を挟んだ対岸上流5キロにあった。 対岸へはガンジス河の水量が少ない乾期に限って浮き橋が架けられ人々が行き来できる。火葬場は土手の上にある門を通ってガート(階段)を約30メートル降り、対岸になだらかに弧を描く河川敷を見渡すガンジス河岸にあった。

私が到着した時にはすでに2体の火葬中だった。その時階段上に男が小さな衣にくるまれたものを抱いて身なりの良い男と共に現れた。 生まれたばかりの赤子の遺体を父親が医者に付き添われ、ガンジス河に流しに来たのだと言う。赤子と伝染病、毒蛇、自殺による死者、そして出家僧侶(サドゥ)は火葬を禁じられており、水に流すのだという。 父親は火葬場にいた親分各の男に交渉した後、係留してあった小さな船に乗り込み船頭が河の中程まで漕ぎ出した。そこで小さな衣の上から紐でレンガを結わえ、少しの間をおいて水の中に小さな遺体を手放した。 ガンジス河中程に停まる小さな船が、薄曇り午後ののっぺりとした光の中に浮き上がっていた。

午後4時、日が少し傾いて来た頃、もう一体の遺体が運び込まれて来た。 薪が積み上げられ、ガンジス河に遺体を浸した後、包んでいた煌びやかな布を外して火葬台の上に遺体が置かれた。 白衣に身を包んだ男が藁束に火をつけ、数人の男達と遺体の周りを数回巡りやがて藁束の火を火葬台に移した。Last Rite (最後の儀式)という男のみが執り行うことのできる、亡くなった家族を送り出す儀式である。 インドで多くの人々が男子の誕生を切望する一つの理由は、自分が旅立つ時に最後の儀式をしてくれる家族の必要性だという。 約2時間後、ガンジス河上流に夕日が沈み始める頃、勢いを増した炎の彼方に夕日が陽炎のようにゆらめいていた。

翌日夕暮れ時、運び込まれた遺体に付き添う家族の中に白装束の男の子がいた。まだ10歳にもならない子供だった。 聞くと、父親はすでに数年前に亡くなっており、今度は母親が亡くなり残された家族中の唯一男性がこの子だとのことである。その男の子はこの先叔父家族に引き取られて育てられるという。ヒンドゥ教義の解脱の喜びはまだ理解できないであろう、幼くして両親を失った不安に包まれた子供の表情が異教徒の私には不憫に思われた。 白衣の子供が薄闇の中で淡い輝きを放っていた。

夜明け前に火葬場へ行ったら、前夜の火葬は全て終わったようでいくつかの燃え残りの火がくすぶっていた。家族達の姿は見えずドゥーム(火葬場労働者のカースト名)達とその子供達が燃え残りの薪を運んでいた。家でこの薪を煮炊きに使うのがドゥームのしきたりとのことだった。 くすぶる火葬の残滓を見ると星空のように熾が瞬いていた。或いはこれが永遠の光かのように。

井津建郎
2015年6月7日

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井津建郎 / IZU KENRO

1949 大阪に生まれる
1969-1970 日本大学、芸術学部写真科在学
1970 ニューヨークへ移住
1974 ニューヨークにてKenro Izu Studio を設立
1979 最初のエジプトでの撮影を通じて『聖地』に興味をもち、以後ライフワークとして撮影を世界30カ国以上において続けている。
1983 14x20インチのフィルムを使った密着プラチナ・プリント技法を開始する。
1993 初めてカンボジアを訪れ強い感銘を受ける。その後アジアの『聖地』の撮影を始める。同時に病気や地雷による怪我をおっても病院で治療を受けられないカンボジアの子供たちの姿を目の当たりにしたことからチ ャリティー活動を開始し、1999年に子供のための病院をカンボジアに設立した。その後も現在にいたるまで制作の傍らチャリティー活動にも尽力している。
2013 インドにおいての人間の尊厳と生命のドキュメント作品『永遠の光』の開始


<主な個展>
1983からニューヨークを中心にギャラリー、美術館などでの個展多数。
1991 ツァイト・フォト・サロン(東京)
1992 Howard Greenberg Gallery(ニューヨーク、アメリカ)
1996Jackson Fine Arts(アトランタ、アメリカ)
   清里フォトアートミュージアム(山梨)
   Hamiltons Gallery(ロンドン、イギリス)
1997 The Cleveland Museum of Art(クリーブランド、アメリカ)
   National Gallery of Art(ワシントンDC、アメリカ)
   Photographic Resource Center(ボストン、アメリカ)
   Center for Photography at Woodstock(ウッドストック、アメリカ)
1998 Museum of Photographic Arts(サンディエゴ、アメリカ)
1999 Southeast Museum of Photography(デイトナビーチ、アメリカ)
2001 Peabody-Essex Museum(セーラム、アメリカ)
   写大ギャラリー(東京)
2002 Arthur M. Sackler Gallery, Smithsonian Institute(ワシントンDC、アメリカ)
   Galleria Carla Sozzani(ミラノ、イタリア) 
2003 砺波市美術館(富山)
2004 Rubin Museum of Art(ニューヨーク、アメリカ)
   Focus Gallery(ロンドン、イギリス)
   ACTE2 Gallery(パリ、フランス)
2005 下瀬ファインアート(東京)
   Camera Work Gallery(ハンブルグ、ドイツ)
2006 Robert Klein Gallery(ボストン、アメリカ)
2007 Herbert F. Johnson Museum of Art, Cornel University(イサカ、アメリカ)
2008 Detroit Institute of Art(デトロイト、アメリカ)
   Pershiel & Heine(ハンブルグ、ドイツ)
2010 Fitchburg Museum of Art(フィッチバーグ、アメリカ)
   Birgit Filtzmaier Fine Photography(チューリッヒ、スイス)
   Gallerie Thierry Marlat(パリ、フランス)
2012 Sarindia Gallery(バンコク、タイ)
   Forma Galleria(ミラノ、イタリア)
   In Camera Galerie(パリ、フランス)
   他、多数


<コレクション>
Boston Museum of Fine Arts(ボストン、アメリカ)
Canadian Center for Architecture(モントリオール、カナダ)
Detroit Institute of Art(デトロイト、アメリカ)
San Francisco Museum of Modern Art(サンフランシスコ、アメリカ)
Houston Museum of Fine Arts(ヒューストン、アメリカ)
Southeast Museum of Photography(デイトナビーチ、アメリカ)
Metropolitan Museum of Art(ニューヨーク、アメリカ)
清里フォトアートミュージアム(山梨)
Arthur M. Sackler Gallery, Smithsonian Institute(ワシントンDC、アメリカ)
東京都写真美術館(東京)
Los Angeles County Museum of Art(ロサンゼルス、アメリカ)
Samuel Dorsky Museum of Art, State University of NY(ニューパルツ、アメリカ)
日本大学芸術学部(東京)
Museum of Photographic Arts(サンディエゴ、アメリカ)
Galleria Civica Modena(モデナ、イタリア)
Santa Barbara Museum of Art(サンタバーバラ、アメリカ)
Peabody Essex Museum(セーラム、アメリカ)
Fitchburg Art Museum(フィッチバーグ、アメリカ)
J. Paul Getty Museum of Art(ロサンゼルス、アメリカ)


<受賞歴>
1999 ルー・ストゥマン写真賞
2000 文化振興賞、日本写真協会
2005 ビジュアル賞、ウッドストック写真センター
2007 ビジョナリー賞、ルーシー・アワード
2007 ペースセッター賞、 New York Hospital、ニューヨーク
2011 ルッカフォト賞、ルッカ・フォトフェスティバル、イタリア
2014 保健貢献賞、World of Children Awards、ニューヨーク


<写真集>
「アンコール遺跡、光と影」清里フォトアートミュージアム(1996)
「KENRO IZU : STILL LIFE」 ARENA Editions (1998)
「アジアの遺跡」清里フォトアートミュージアム(2001)
「SACRED PLACES」 ARENA Editions (2001)
「PASSAGE TO ANGKOR」Channel Photographics (2003)
「BLUE」Howard Greenberg Gallery (2004)
「BHUTAN sacred within」 Nazraeli Press (2007)
「Kenro Izu : A Thirty Year Retrospective」Nazraeli Press (2010)
「BLUE six by six book」 Nazraeli Press (2012)
「Kenro Izu. Territori dello spirito」Fondazione Fotografia Modena/Skira (2014)


kenro_izu "Eternal Light” EL 43#8 2013 Gelatin Silver Print ©Kenro Izu


kenro_izu "Eternal Light” EL 412#12 2013 Gelatin Silver Print ©Kenro Izu